『かも知れない運転』
〜本物の“前向き”になるために〜


免許の講習で習う「だろう運転」ではなく
「かも知れない運転」というキーワード。

「多分何も飛び出しては来ないだろう」という前提ではなく、
「何か飛び出して来るかも知れない」という前提で安全運転しましょう
という意味だが、それを聞いた時、車の話にとどまらないなと感じた。
いまの日本や、僕ら日本人はどちらだろうか。

起きてしまったさまざまな出来事たちを振り返る限りは、
明らかに「だろう運転」ではないだろうか。

ご承知のことと思うが、「だろう」とは、
「見込みの甘さ」や「想定外」のことである。
「根拠なき楽観」や「鈍感」のことでもあるだろう。

問題は、
見込みを厳しくしようと奮闘した結果、見込みが甘かったのではなく、
見込みを甘くしておきたい、想定したくない僕らがいること。

すなわち、確信犯である点だ。

しかも、それをはっきりと覚えていないこと、
それがどう問題なのかも甘く見ていること、
ともすれば、マイナス面を見ないことを「前向き」だと
勘違いしていることが、問題を致命的なものにしている。

もちろん、何でも想定すべきだといっているのではない。
想定し過ぎれば、何もチャレンジできなくなるのも事実だからだ。

すべきなのは、どんな「だろう」を選んだのかを覚えておくこと。
すると、良からぬ何かが起きても、原因がわかるので
他人のせいにしなくてすむ。
いつも頭の整理がついているから、修正がきくこともある。

いまの日本や僕ら日本人が、
自分たちが選んだ「だろう」を記憶しているとは思えない。

自分に起きている出来事が、
自分が投げかけた結果であることもわかっていない。
次なる危機の準備は、全く整っていない。

それを、僕が僕の人生において気づき、行動してゆく。