『脱 鈍感』
〜第二の坂本龍馬を創出するために〜



問題は、問題を知らなければ解決できない。

当然のことに思えるけれど、
はたして日本にはそれができているだろうか。

「見込みの甘さ」や「問題の先送り」という言葉が次々と飛び出す始末。
これらの言葉は、問題を捉え切れていないことを表している。

では、僕ら日本国民一人一人のレベルでは、それができているだろうか。

「見込みの甘さ」から問題を起こした、
「最低でも県外」発言の首相も、
原発の重大事故を起こした東電社員たちも、
証拠でっち上げの検察官たちも、
通信障害を繰り返したNTTドコモ社員たちも、
センター試験で配布ミスを起こした職員も、
僕らと同じ日本国民だ。

すなわち、見込みの厳しい国民からは、見込みの厳しい彼ら、
見込みの甘い国民からは、見込みの甘い彼らしか
輩出できないということではないだろうか。

ここ数年、全国を訪ねたときによく耳にしたのが、
「坂本龍馬みたいな政治家が出てこないだろうか」という発言だった。

僕はその発言にこそ、
坂本龍馬みたいな政治家が出てこない原因が集約されていると感じた。

忘れてはならないのは、
志士・坂本龍馬は、彼と同様の気概を持った志士、
あるいは彼を生み育てられるだけの
彼以上の志士が多くいた日本から生まれたということだ。

「坂本龍馬が出て来ないかなぁ」と言っている
僕たちからは、決して生まれないのである。

あるいは、坂本龍馬の種を殺してしまうことになる。

最近では橋下大阪市長が人気を集めている。
けれど僕ら一人一人が訪れるチャンスや危機を鈍感に受けとめ、
現状に楽観して事態を先送りし、手遅れの頃になって慌てて
場当たりな対応をすれば、低水準な結果ばかりが生まれてしまう。

その悪循環に気づくことなしに彼にあやかれば、
橋下氏が有能かどうかと関係なく、低水準な結果が待っているだろう。

「管轄」や「立場」の枠をはみ出す一個人の創出は、
鈍感を脱する取り組みと同じ意味を持つのである。